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「愛」から始める新しい人生〜加藤諦三教授の視点から〜

2025.03.24

ショパン・マリアージュ

序章:なぜ今、「愛」なのか
 春まだ浅いある日の朝、電車の車窓から見える梅の花が、冷えきった都市の風景に小さな色彩を添えていた。誰もがスマートフォンの小さな画面に目を落とし、隣人の気配を感じることすらしない。世界は、あたかも「つながり」に満ちているようでいて、その実、誰ひとり本当には「誰か」とつながっていない――そんな感覚が私の胸をよぎる。
 それは、まるで静かに進行する集団的な飢えのようである。愛の飢え、である。

 加藤諦三という哲学者・心理学者が語る「愛」は、決して甘美な幻想ではない。それは、人生の出発点であり、また終着点でもある。彼の語る愛は、飾られた感情ではない。むしろ、**「生きるとは何か」**という根源的な問いへの答えなのだ。
「愛とは、他人の人生に関心を持つことであり、自分のエゴを超えて他者の存在を肯定する意志である。」

 これはエーリッヒ・フロムの言葉であるが、加藤はこの思想を日本人の心の機微に寄り添うかたちで内面化し、繊細に、そして時に厳しく説いていく。彼の著作『愛するということ』は、単なる恋愛指南書でもなければ、精神世界の美辞麗句でもない。それはむしろ、現代社会に生きる私たちへの**「存在への呼びかけ」**である。愛なき社会の静かな絶望
「愛されたい」という欲求は、誰しもが抱えている。しかし、それがいつしか「認められたい」「評価されたい」という形に変質するとき、人は知らぬ間に自分自身を見失っていく。

 職場での実績、SNSの「いいね」、家庭内での役割――それらすべてが、愛の代替物にすぎないと、加藤は繰り返し説いている。愛されていないと感じる人間は、外側の世界から承認を得ようと、焦燥にも似た衝動に突き動かされる。しかし、そのようにして得られる称賛や評価は、いつか必ず裏切る。
「愛されていないという感覚を抱えたまま、大人になると、人はいつしか他人の人生を生きるようになる。」

 この言葉は、ある種の静かな絶望である。だが、それを見つめることからしか、回復の道は始まらない。
自己肯定は「愛されている」という感覚から始まる
愛とは、与えられるものではない。与えられることによって、初めて「信じられるもの」となる。
加藤は語る。「人は無条件に愛されることで、自分の存在を信じることができる。そこから、他人を信じる力が芽生え、世界に対して心を開く準備が整う」と。
 幼少期における親からの無条件の肯定、傷ついたときに黙ってそばにいてくれた人のまなざし――それらが、愛の原風景として、人生の根幹に根を張るのだ。
だが、もしそれが与えられなかったとしたら?
愛を「選び取る」ということ
 加藤諦三は、絶望の只中にも希望の灯を残す。
「人は、いまからでも、愛を選び取ることができる」と。
それは運命論でもなければ、過去への固執でもない。自分の傷に向き合い、自分を肯定する勇気を持つこと――それこそが、人生を愛から始める第一歩なのである。

 このエッセイでは、加藤諦三の思想を核としながら、人生のさまざまな局面において「愛」がいかに作用し、また、どのように失われ、そして取り戻されていくのかを紐解いていく。
それは決して絵空事ではなく、私たちひとりひとりの、現実の物語である。

第2章:加藤諦三の『愛』概念の核

愛とは「技術」である──はじまりの問い

「愛は感情ではない。愛は技術である。」

この言葉で幕を開けるエーリッヒ・フロムの『愛するということ』は、読み手に衝撃を与える。「愛する」という行為が、ただ自然に湧き上がる感情ではなく、学び、育み、練習していく「技術」である――そのような思想は、我々が恋愛や家族関係において経験的に感じてきた不安や齟齬に、静かに道標を差し出してくれる。

加藤諦三教授は、この思想をさらに深く日本社会の中で展開する。
彼にとっての「愛」とは、自己と他者のあいだに静かに流れる“深い肯定”の流れであり、個人が「自分」を取り戻すための根源的な力である。


「配慮」──沈黙のぬくもり

ある女性の話がある。彼女は母を早くに亡くし、父親の手ひとつで育てられた。だがその父は、感情をあまり表に出さず、彼女が熱を出してもただ遠くから「水を飲め」と言うばかりだった。

彼女はこう語った。「私が本当に欲しかったのは、“水を持ってきてくれる手”でした。」

このエピソードが象徴するのは、「配慮」とは言葉以上の“行為”であるということだ。加藤は語る。人は配慮を受けることで初めて「自分には価値がある」と感じるのだと。

配慮とは、他者の存在を「ただ見る」のではなく、「見守る」こと。
存在の周囲に温度を宿すこと。
たとえ言葉がなくとも、ひとつの湯呑みを差し出すような行為に、人は深く慰められる。


「責任」──逃げずにいる勇気

責任という言葉には、ともすれば重苦しさがつきまとう。だが、加藤の語る責任とは、「逃げない」ということだ。
それは義務の遂行ではない。他者の苦しみに“耳をふさがない”という、意志の姿勢なのである。

あるとき、加藤は講演の中で、虐待を受けた子どもが後に自分の子を殴ってしまう例を挙げ、「彼は責任を放棄したわけではない。ただ、“自分の中の痛み”を見つめる責任から逃げたのだ」と言った。

真の責任とは、他者の人生を引き受けることではなく、自分の感情に正直でありつづけることでもある。


「尊敬」──変化する自由を許す

加藤諦三は言う。「尊敬とは、相手が“変わっていく存在”であることを喜べるかどうかである。」

愛する者を「こうあってほしい」と願うのは、しばしば支配欲に近い。
しかし、尊敬とは、相手が自分の期待通りではなくなることを許容する愛である。
それは、他者が“自分とは異なる存在である”ことを祝福する行為だ。

ある老夫婦の話がある。結婚40年目、妻が突然「絵を描きたい」と言い出した。
夫は最初驚いたが、数日後、何も言わずに画材セットを贈ったという。

愛とは、他者が自分の知らない地平を歩く自由を、黙って認めることなのだ。


「理解」──沈黙の奥にある声を聴く

「言葉にならない苦しみを、理解してくれる人がいたら、それだけで人は癒される」と加藤は繰り返す。

理解とは、知的な把握ではない。「その人の沈黙」を理解する力である。
加藤が引用するフロムも、「理解とは共感であり、相手の内的世界を体験すること」と語っている。

ある引きこもりの青年が、3年ぶりに外に出たきっかけは、姉が部屋の前にそっと置いた、一冊の詩集だったという。
その詩にはこう書かれていた。

「君が何も言わなくても、
僕は君のうしろで、君の泣き声を聴いている。」

理解とは、言葉を超えた対話である。
加藤の愛の哲学は、その静謐な共振を何より大切にしている。


自己愛と他者愛のゆらぎ

加藤が最も深く掘り下げるのは、「自己愛」と「他者愛」の関係性である。
彼は一貫して、「自分を愛せない者は、他人を愛することもできない」と語る。
だが、この自己愛は、ナルシシズムとは異なる。
それは、自分の傷を否定せずに抱きしめ、自分の弱さを見捨てないという、**“自分との同盟”**である。

フロムが「成熟した愛とは、与えることそのものである」と語ったように、加藤の言う愛もまた、自己のうちなる深い井戸から汲み上げる水である。他者を潤すには、自分自身がまず潤っていなければならない。


結び──愛は「始まり」ではなく、「始めること」

加藤諦三の思想において、愛は「出発点」である。
だが、それは、誰かから与えられるスタートラインではなく、自分で始める“生き方”としての出発点である。

「過去に愛されなかったから」としても、人は今ここから、自分を愛すること、他人を理解しようとすることを選び取ることができる。

愛とは技術であり、訓練であり、意志である。
そしてそれは、文学や芸術と同じく、人生を深く、豊かにしていく表現行為なのだ。

第3章:愛の欠如が生む心理的影響

1. 心の空白──「私はここにいていいのか」という問い

ある男がいた。
社会的には成功し、周囲の誰もが「勝ち組」と呼ぶような人生を歩んでいた。
だが、ある日ふと、鏡に映った自分を見つめながら、彼は呟いた。

「誰かに、“あなたがそこにいるだけでいい”と言われたかった。」

この一言は、愛の欠如が生み出す静かな空白を見事に物語っている。
愛されなかった記憶は、表層では忘却されることがあっても、自己存在への疑念として深層に残り続ける。
それはまるで、見えない霧のように日常を包み、人生のあらゆる選択に影を落とす。

加藤諦三は、こうした心のありようを「自分に価値があると信じられない人」と定義する。
そしてその根底には、「愛されたという感覚」が欠けている。


2. 愛の代替物──承認欲求の牢獄

加藤は繰り返し述べる。

「人は、愛されていないとき、評価されることにしがみつく。」

それはまさに、承認欲求という代替物の誕生である。
自分の存在価値を、他人の目に映る「役に立つ自分」「好かれる自分」「優れた自分」に託してしまうのだ。

ある若い女性は、SNSに自分の写真を毎日投稿し続けていた。
1日に100件以上の「いいね」がつかなければ、自分の存在が消えてしまいそうになるという。

「それは承認欲求じゃなくて、“愛されたい欲求”だったんです」と、彼女は後に語った。

承認欲求は、愛の不在から生まれる亡霊のようなものである。
誰かに見られたい、誰かに求められたい、その叫びは本来、ただ静かにそばにいてほしいという願いの変形にすぎない。


3. 自己否定という習慣病

愛されなかった人は、しばしば自分自身に対して残酷になる。
それは、虐待の言葉を浴びせられたからではない。むしろ、何も言われなかったこと無視されたこと笑いかけられなかったことが、魂に深い傷を残す。

「あなたは何も悪くない」と言われても、心のどこかで「でも私は価値がない」と感じてしまう。
その矛盾こそが、愛の不在が生む「自己否定」という呪縛である。

加藤はこう語る。

「愛されなかった人間は、失敗を過剰に恐れる。なぜなら、そのたびに“やっぱり私はダメなんだ”という思いが蘇るからだ。」

つまり失敗は、過去の記憶に直結してしまう。
そうして人は、挑戦を避け、自己卑下を口癖とし、自分という存在を、他人より先に否定する癖を身につけてしまう。


4. 依存と攻撃──愛されたいのに壊してしまう人

「どうして私を見てくれないの!」
恋人のスマホを深夜に盗み見し、疑念をぶつけて泣き叫ぶ。
その姿の奥には、**「見捨てられる恐怖」**がある。

加藤は、愛を求めすぎるあまり、逆にそれを破壊してしまう人々の心理を、「依存的性格」として描いている。
彼らは常に不安に苛まれており、他人の一挙手一投足を「見捨てる前兆」として読み取る。

ある男性は、交際相手がLINEの返信を5分遅らせただけで「俺のこと好きじゃないんだろ」と詰め寄った。
彼にとって、「即時の返信」は「愛の証明」であり、それが崩れることは自己存在の否定に等しかった。

一方で、愛されない怒りは、攻撃性としても噴出する。
加藤は語る。「愛されなかった人は、自分の無力さを認める代わりに、他者を責めることで心の均衡を保とうとする。」

「こんな社会が悪い」「親が間違ってた」「みんな冷たい」――
その叫びの底には、「本当は誰かに抱きしめてほしかった」という声なき声が潜んでいる。


5. 人間関係の構築不全──近づけない、でも離れたくない

加藤は、人間関係において**「距離感の不全」**という現象を指摘する。
愛の欠如を経験した人は、「他者との距離」をうまく測れない。近づきすぎれば不安に襲われ、離れれば孤独に震える。
それはまるで、光に向かって飛び込もうとしても、熱に焼かれて身を引く蛾のようである。

ある女性は、結婚して3年目に突然「夫の優しさが怖い」と感じるようになった。
彼女は言う。「本当に優しくされると、それを信じる自分が怖くなる。いつか裏切られるんじゃないかって。」

この心理の背景には、「愛されること」に慣れていないこと、つまり**「受け取る器」が育っていない状態**がある。
加藤はそれを、「愛され慣れていない者の孤独」と名づけている。


6. 愛の不在は“思考”では埋まらない

現代は知識の時代である。
しかし、どれだけ心理学を知っていても、どれだけ理屈で自分を納得させようとしても、愛されなかったという“体感”の欠如は、知性では補いきれない。

加藤は語る。「人間の深層は、論理ではなく、情緒で動いている。」
そして、その情緒の根にあるのが、「愛された記憶」なのである。

たとえ一度でも、「この人のそばにいていい」と思えた瞬間があるならば、人は何度でも立ち上がることができる。
その瞬間こそが、人生の回復点になる。


結び──愛の欠如に気づくことが、回復のはじまり

加藤諦三の思想において、「愛の不在に気づくこと」は、決して敗北ではない。
それはむしろ、人生を取り戻す最初の扉なのである。

「あなたが不安で仕方がないのは、愛されなかった過去の自分が、今も心の奥で泣いているからだ。」

その声を無視せず、そっと耳を傾けること。
それが、「自分を愛する」という最も困難で、最も大切な技術のはじまりである。

第4章:人生における『愛』の回

1. 愛は“もう一度始められる”

ある雨の朝、60歳の男性が精神科外来の待合室に現れた。
顔は強張り、目は伏せられたまま。彼は開口一番こう言った。

「私は、自分の人生を愛せなかった。」

彼の半生は“他人にとって良い人間であること”で埋め尽くされていた。会社では忠実な部下、家庭では“理想の父親”を演じてきたが、心には常に空洞があった。
定年を迎えた途端、自分を支えていた肩書きが剥がれ落ち、虚無感と共に「誰のために生きてきたのか」がわからなくなったという。

加藤諦三はこう言う。

「愛は“過去に与えられなかったから終わり”ではない。むしろ“気づくこと”から始まる、もう一つの人生である。」

彼の回復の道は、「自分を見つめ直す」ことから始まった。そして半年後、彼は静かにこう言った。

「あのときの私は、愛されたかったのに、ずっと演じていた。今はもう、泣いてもいいと思えるようになりました。」


2. 回復は“記憶”ではなく、“体験”から生まれる

加藤は「愛を理解するには、理屈ではなく経験が必要だ」と説く。
回復とは、過去の傷を分析することではない。
それは、“今この瞬間に他者とつながること”を、もう一度身体で感じることなのである。

ある女性の話がある。
彼女は幼少期から親に無視され、愛情を与えられなかった。恋人との関係も壊れてばかりで、「私は誰からも愛される資格がない」と思い込んでいた。

だが、あるとき、職場の同僚が彼女のために、そっとおにぎりを差し出してくれたという。
そのとき、胸の奥が不意にあたたかくなり、涙が止まらなかったと語る。

「あれはただのおにぎりじゃなかった。あれは、“あなたはここにいていい”というサインだった。」

この一瞬の“経験”が、彼女の心の扉を静かに開いた。

回復は、“わかる”ことからではなく、“感じる”ことから始まる。
愛の欠如を埋めるのは、言葉よりも沈黙のぬくもりなのだ。


3. セラピーという「共鳴の場」

加藤諦三の提唱する心理的回復の場は、しばしばセラピーや対話の中に見出される。
それは“治療”ではない。むしろ、“もう一人の自己との再会”である。

ある男性は長年、自分を憎んで生きていた。
彼はセラピストに向かって、少年期に親から「お前なんか生まれてこなければよかった」と言われた話を繰り返す。
ある日、彼が話し終えた後、セラピストはただ一言こう言った。

「それは、本当に悲しかったですね。」

その言葉が胸を打ち、彼は号泣した。
「誰かが、俺の悲しみを、悲しんでくれたのは初めてだった」と後に語った。

加藤は述べる。

「人間は、自分の気持ちを共有してもらったとき、はじめて“生きている”と感じられる。」

愛の回復とは、“理解される”ことではない。
「共に悲しんでもらう」という、心の共鳴にほかならない。


4. 小さな肯定が人を変える

愛の回復は、劇的な出来事によって起こるわけではない。
多くの場合、それは“さりげない肯定”の積み重ねである。

加藤はあるラジオ番組でこんな話を紹介した。
不登校だった少年が、近所のおばあさんに「最近顔見なかったねぇ、元気かい?」と声をかけられた。
それだけで、彼は翌日学校に行く決心をしたという。

このようなささやかな出来事は、本人にとっては「存在が歓迎されている」という大きな意味を持つ。
「私はここにいていい」と思える経験が、人の未来を決定づける。


5. 愛される“勇気”を持つこと

意外にも、多くの人は「愛されること」に怯えている。
それは、自分の脆さが露呈するのではないかという恐怖。
「こんな自分が受け入れられるわけがない」という自己否定。

だが、加藤は言う。

「愛を受け取ることは、勇気のいる行為である。」

それは、“防御”を解くこと、“素顔”を見せることだからだ。
けれど、その勇気をほんの少し持つだけで、人は人生を変えられる。

あるカウンセリングで、女性が「私なんかの話、聞いてもらってすみません」と言ったとき、セラピストは微笑んでこう答えた。

「あなたの話が聞きたくて、私はここにいます。」

その瞬間、彼女の中で何かが「溶けた」という。


6. “愛する”という回復の形

最後にもう一つ、重要な視点がある。
それは、「愛される」こと以上に、「愛する」ことが人を回復させるという事実だ。

加藤は語る。

「人は、誰かを大切に思うとき、自分の存在が確かになる。」

愛とは、受動的に与えられるものではなく、能動的に“差し出す”行為である。
そしてそのとき、人は“愛される資格がある”ことを、身体の深部で確信するのだ。

ある高齢男性は、孤独を癒すために保護猫を飼い始めた。
その猫が食事をし、眠る姿を眺めながら、「俺がいないとこの子は生きられない」とつぶやいた。

その瞬間、彼の人生に意味が生まれた。
誰かを愛すること。それは、自分の命に灯りを灯すことでもあるのだ。


結び──“愛され直す人生”は、誰にでも始められる

人生は、過去によって支配される必要はない。
加藤諦三が幾度となく伝えてきたのは、「今ここから、もう一度愛され直すことは可能だ」という静かな希望だ。

「あなたは、愛されなかった人ではない。
愛されることに、まだ気づいていない人なのだ。」

この言葉は、すべての孤独に灯る灯火である。
人生における愛の回復とは、劇的な奇跡ではない。
それは、誰かのまなざし、誰かの言葉、誰かの沈黙のぬくもりによって、そっと始まる“第二の誕生”なのだ。

第5章:愛と人間関係の再構築

1. 壊れた関係に残る“沈黙の傷”

彼は、彼女の前でほとんど何も話さなかった。
彼女は、その沈黙に毎晩泣いた。

それは、別に怒っているわけでも、嫌っているわけでもない。ただ、話すことがなかった。
けれど彼女は、こう感じていた。

「私はこの人にとって、存在していないのかもしれない。」

人間関係が壊れていくとき、それは言葉の暴力よりも、むしろ**“言葉が交わされないこと”**によって始まる。
沈黙は、ときに「関係の死」を意味する。

加藤諦三は言う。

「言葉は、愛を運ぶ舟である。沈黙は、その舟が岸にたどり着くのを妨げる波だ。」

人は、黙っていても理解されるほど強くはない。
人間関係を修復する第一歩は、**「もう一度話す勇気」**を持つことから始まる。


2. 依存から自立へ──「あなたがいないと私はだめ」は愛ではない

ある夫婦の話。
妻は、夫の帰りが遅いと電話をかけ続け、返信がなければ涙を流した。
夫は最初こそ心配していたが、やがてそれを「束縛」と感じ始めた。

彼女は言った。

「あなたがいないと、私には何も残らない。」

加藤諦三は、このような愛を「依存」と明確に区別する。

「愛とは、他者を必要としない“自立した個”が、互いに支え合う関係である。」

依存の愛は、相手を“所有”しようとする。
だが、本当の愛とは、「いなくても生きられるけど、いてくれたら嬉しい」という関係なのだ。

再構築のためにはまず、「私は私のままでいていい」と思える自己像が必要である。
それが、人間関係の“足場”となる。


3. 親子関係の修復──「わかってほしい」の前に

親子関係は、最も深く、最もこじれやすい関係である。
ある青年は、母との関係を断ち切っていた。
理由は「何もかもを決めつけられるから」。
しかし、ある日、母から手紙が届いた。

「あなたが何を思っていたのか、私はちゃんと聞いてこなかった。ごめんなさい。」

その手紙が、彼の心を動かした。

加藤は言う。

「人間関係が壊れるのは、“わかってもらえなかった”からではなく、“わかってもらおうとしなかった”から。」

多くの親は、「良かれと思って」子を導く。だがそこにはしばしば**「対話の不在」**がある。

再構築とは、「あなたはどう思っていたの?」という問いを持ち直すことだ。
それは、時間がかかる。けれど、それが親子にとって、もう一度“人間同士”として出会い直す道である。


4. 支配ではなく、共感のある関係へ

ある女性が、恋人のすべてをコントロールしたがる癖について相談に来た。
「彼が何をするか、何を考えているか、全部知っていないと不安になるんです」と。

加藤は、これを「支配の裏返しの恐怖」として捉える。

「支配する人は、実は自分が見捨てられるのを恐れている。」

相手を縛り、情報を握り、行動を監視する――それは愛ではなく、「見捨てられたくない」という叫びの表れだ。

再構築の鍵は、共感である。
「あなたがそう思うのは当然だね」と、**相手の内面を“理解しようとする姿勢”**が、壊れた信頼をつなぎ直す。

愛とは、支配しないこと。
相手の自由を喜べること。
そして、相手が“自分とは違う存在”であることを祝福することである。


5. 愛し方を学び直す──“沈黙と反応”の力

再構築において、最も大切な技術は「話し方」ではない。
それは、「反応の仕方」である。

加藤は言う。

「人は、話す内容よりも、“話したときの相手の表情”を記憶する。」

たとえば、誰かが弱さを打ち明けたとき、無意識に笑ってしまったり、話をそらしてしまったりすることがある。
それだけで、「この人には話せない」という信号が送られてしまう。

人間関係を再生するには、**“沈黙を恐れないこと”**が重要だ。
答えがなくてもいい。ただ、「その場にいる」という態度。
それだけで、関係は回復しはじめる。


6. 距離を縮めるのではなく、“境界線”を知る

意外にも、関係を修復するためには「距離を縮める」ことではなく、“健全な距離感”を見直すことが必要になる。

ある親子は、毎日のようにLINEを送り合っていた。
だが、どこかに緊張があった。
ある日、娘が「今日はいまいち返信したくなかった」と正直に告げると、母はこう言った。

「それでいいのよ。私も時々、ちょっとしんどい日があるの。」

この瞬間、二人の関係は大きく変わった。
**「つながりすぎないことで、むしろ信頼が深まる」**のだ。

加藤は言う。

「人間関係の成熟とは、境界線の尊重である。」

すべてを共有しなくていい。
わからないことがあってもいい。
その“あいまいさ”を許容できることが、愛の器を広げる。


結び──「もう一度、愛し直す」という選択

壊れた関係は、元には戻らない。
だが、それは悪いことではない。
むしろ、一度壊れたことで、もっと深い関係に生まれ変わることができる。

加藤諦三が繰り返し伝えているのは、

「人間関係は、“修復”ではなく、“再創造”である。」

一度、沈黙や傷や誤解に飲み込まれてしまった関係も、
ほんの小さな勇気――**「話してみる」「待ってみる」「笑いかけてみる」**で、静かに息を吹き返す。

そしてそのとき、私たちは知る。
愛とは、完璧な理解ではなく、諦めずに向き合い続ける“姿勢”なのだと。

 

第6章:結論──「愛」から始める新しい人

1. 終わりではなく、始まりとしての「愛」

この長い旅路を、私たちは“欠如”から始めた。
愛されなかった記憶。
言葉にされなかった承認。
伝わらなかった想い。
――それらが、人生の地図を静かに塗り替えていった。

だが、加藤諦三は、その沈黙の底にもうひとつの可能性を見出した人である。
彼が語る「愛」は、失われた過去を悔やむための言葉ではない。
それは、「今ここから、自分の手で愛を始める」という意志の哲学である。

愛は、贈り物ではない。
天から降ってくる奇跡でもない。
それは、人生の技術であり、選択であり、そして勇気である。


2. 愛とは「そのままの自分を生きる勇気」

私たちの多くは、「こうあるべき」という姿に自分を閉じ込めて生きている。
優しくあるべき、強くあるべき、役に立つべき、愛されるべき――
しかし加藤は、こう問いかける。

「あなたは、誰の人生を生きているのですか?」

他人の期待に応えることばかりに夢中になり、
自分の“ほんとうの声”に、耳をふさいできたのではないか。

愛から人生を始めるとは、“そのままの自分”に許可を与えることである。
それは、弱さを肯定し、過去を赦し、未熟な自分に微笑みかけることだ。

愛されなかった記憶があっても構わない。
それでもなお、「私は私を大切にする」と決めたその瞬間に、
人生は、静かに生まれ変わるのだ。


3. 「愛は感情ではなく、行為である」

加藤諦三が幾度となく引用した、エーリッヒ・フロムのこの言葉。

「愛は感情ではなく、行為である。」

それは、愛が“気分”ではなく、“態度”だということ。
たとえば、道端の誰かに優しい言葉をかけること。
怒りの代わりに、沈黙を選ぶこと。
誰かの話を最後まで聞くこと。

それら一つひとつが、愛であり、自分自身への愛の証でもある

愛するとは、今日、どんな自分であるかを「自分に問う」こと。
その問いを持つ限り、人はどこからでも立ち上がれる。
たとえ昨日まで愛を知らずに生きてきたとしても。


4. 「生きること」と「愛すること」は、同じこと

加藤諦三の言葉には、いつも「生きること」への誠実さがあった。
彼にとって心理学は、難解な学問ではない。
それは、生きづらさの中で悩む人にとっての、**“静かな灯り”**であった。

彼が言ったように、

「人間は、愛されることで“存在の証明”を得る。」

そして、

「人間は、愛することで“存在の実感”を得る。」

つまり、「生きる」とは「愛する」ことなのだ。
誰かを思い、自分を許し、世界とつながること。
それが、私たちが「ここに在る」ことの証である。


5. 希望としての「愛の思想」

この章の結びに、もう一度、静かに確認しておきたい。
たとえ今、孤独の中にいるとしても。
たとえこれまでの人生が「愛の不在」によって染まっていたとしても。
あなたには、これからの人生を“愛から始める”自由がある。

愛するとは、自分の傷を見つめること。
それを隠さず、誰かに見せてもいいと思えること。
そして、他者の傷を否定せず、そっと手を差し伸べられること。

そのとき初めて、人生は孤独ではなくなる。

加藤諦三は、生涯をかけて、そのことを語り続けた。
彼の言葉は、特別な人に向けられたものではない。
それは、どこかで傷つきながらも、もう一度歩き出そうとする、すべての人への祈りだった。


終章のことば

あなたの人生は、まだ途中である。
そして、愛を始めるのに“遅すぎる”ということはない。

さあ、今日という一日を、
自分に対して、誰かに対して、
少しだけ“優しいまなざし”で始めてみよう。

それこそが、「愛から始める新しい人生」への、最初の一歩になるのだから。

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