愛するとは、共に成長することである〜アド……
ショパン・マリアージュ(北海道)
2025.04.19
ショパン・マリアージュ
美咲さん(仮名・28歳)は、これまで3人の恋人と付き合ってきた。だが、ふり返ってみると、どの恋も同じような終わり方をしていた。「最初は優しいのに、だんだん冷たくなるんです。で、私が追いかけるようになる……」
カウンセラーは彼女に尋ねた。
「あなたが“惹かれる”相手に、どんな共通点がありますか?」
しばらくの沈黙の後、美咲さんはこう答えた。
「どこか放っておけない人。だけど結局、私ばかりが頑張っているように感じてしまうんです」
アドラー心理学では、このような恋愛パターンを「目的志向」の視点から読み解きます。すなわち、「無意識に」相手を選びながらも、そこには“自分が満たしたい目的”が込められているという考え方です。
アルフレッド・アドラーは、人間の行動は過去の原因(原因論)ではなく、未来の目的(目的論)によって動かされると考えました。恋愛も例外ではなく、「なぜその人を選ぶのか?」「なぜその恋に執着するのか?」には、個人が抱える欲求や信念、劣等感からの回避といった“心理的目標”が隠されているのです。
たとえば、孤独感を抱える人が「一緒にいることで安心させてくれる」相手を選ぶのは、その関係性によって自分の“不足感”を埋めようとする無意識的な選択である、とアドラー派の心理学者たちは述べています(Hand, 2019)。
31歳の悠太さん(仮名)は、恋愛をしていないと自分に価値がないように感じるという悩みを抱えていました。「誰かに好かれていないと、社会に存在している実感が持てないんです」と彼は言います。
カウンセラーは、その感覚を「劣等感を克服する目的」として分析しました。恋愛という行為を通じて、「自分は魅力的である」「必要とされている」と感じたい──それが悠太さんの目的だったのです。
このように恋愛が「自己評価の手段」になってしまうと、相手が望むものではなく、「自分が承認されたいかどうか」が判断基準になってしまい、やがて関係は破綻します。
人は恋に落ちるとき、相手の“属性”よりも「自分の物語に合うかどうか」を見ています。たとえば、自分が「守られたい」と感じていれば、頼もしく見える相手に惹かれます。しかし、それは実際の相手そのものではなく、“自分の目的を投影した姿”なのです。
この投影がずれると、「こんなはずじゃなかった」「相手が変わった」と感じ始めます。しかし、実際に変わったのは“相手”ではなく、“自分の期待とのズレ”なのです。
アドラーは、「他人を変えようとするのではなく、自分の目的を問い直すこと」が、真に自由で成熟した愛の前提だと説いています。
24歳の理沙さん(仮名)は、付き合い始めるとすぐに「束縛されている気がする」と感じ、交際を終わらせてしまうことが続いていました。実は彼女には、父親との関係で「男性からは自由を奪われる」という信念が根づいていたのです。
そのため、“自由でいたい”という目的を守るために、親密さに対して恐怖を感じ、恋愛から自ら離れてしまうというパターンを繰り返していました。アドラー派カウンセリングでは、こうした「恋愛回避の目的」もまた、行動の意味として分析対象となります。
「なぜこの人を好きになったのか?」という問いは、「自分はどんな目的を持って関係を築いているのか?」という問いと表裏一体です。恋愛とは、自分が何を欲していて、何を恐れているのかを映し出す鏡でもあります。
アドラー心理学は、こうした関係性の背後にある「無意識の意図」に気づくことこそが、真の愛に至る道だと考えます。
恋愛は偶然ではない。誰かを好きになることも、関係にしがみつくことも、あるいは関係から逃げることも、それぞれに「守りたいもの」「満たしたいもの」という明確な“目的”が存在しているのです。
アドラーの目的論は、恋愛の舞台裏にある心理的ドラマを明らかにします。そして、その目的を見直し、より成熟した自己と他者の関係を築くこと──それこそが、恋愛を「成長の道」に変える鍵なのです。
「彼が女友達と食事に行くたびに不安になるんです。でも、それって“私のことをちゃんと好きならそうしないはず”って思ってしまうからで……」
27歳の梨花さん(仮名)は、彼氏の行動一つひとつに“裏切りの兆候”を見出そうとする癖があった。彼女の内面には、常に「自分は他の誰かより劣っている」という感情が潜んでおり、それが恋愛の場面で強く噴き出していた。
アドラーは、こうした感情の源を劣等感と名付け、それが人間の行動や関係性のすべてに影響を与えると説きました。
アルフレッド・アドラーは、人間は生まれながらにして「小さく、弱く、依存的」な存在であるという実感を持ち、それを克服するために努力する存在であるとしました。その原動力が「劣等感」です。
この劣等感は本来、自己成長や社会参加を促す“エネルギー”として働きます。しかし、健全に向き合えなかった場合、人はその劣等感を“関係性の中で補償”しようとし、それが支配や依存という不健全な形で表出するのです(Watts, 2013)。
嫉妬とは、他人の存在が「自分の価値を脅かす」と感じたときに生まれる感情です。アドラー心理学では、嫉妬は“競争”と“劣等感”の産物とされます。
美優さん(仮名)は、エリートの彼氏が他の女性から注目されるたびに、言いようのない怒りと悲しみに襲われました。「私は彼にふさわしいのか」「他の人の方が魅力的なんじゃないか」と自分の中で戦っていたのです。
カウンセラーとの対話を通じて、美優さんは「自分が“価値ある存在”であることを彼に証明し続けなければいけない」という思いに縛られていたことに気づきます。
このように、嫉妬は「自分には価値がないのでは」という劣等感の投影でもあります。アドラーは、「真の愛とは、相手を信じ、自分を信じることから始まる」と述べています。
アドラー心理学において、他者を支配しようとする欲求は、往々にして「無力感」や「拒絶されたくない恐れ」の裏返しです。
交際2年目の健一さん(仮名)は、恋人のスケジュールを逐一知りたがり、少しでも連絡が遅れると怒り出すことがありました。彼は「心配だから」「愛しているから」と言っていましたが、実際は「置いていかれるかもしれない」という強い不安を抱えていました。
アドラー的視点からは、これは「主導権を握ることで安心を得ようとする劣等感の補償行動」と捉えられます。愛に見せかけた“操作”は、真の親密さとは対極にあります。
アドラーは、劣等感を否定するのではなく、それを**「勇気」の源として活かす**べきだと考えました。すなわち、
「他人より劣っている」と感じることがあっても、
「その不完全さを認めつつ、成長し続けようとする」ことこそが、
成熟した人間関係の鍵だというのです。
沙織さん(仮名)は、恋人とケンカするといつも「ごめん」と言えずに関係を壊してしまっていました。実は、謝ることは“自分の非を認めること”ではなく、“相手に負けること”だと感じていたのです。
あるセッションで彼女は涙ながらにこう言いました。
「私、ずっと“ごめん”って言えなかったのは、嫌われるのが怖かったんです」
その瞬間、彼女の表情はやわらぎました。勇気を持って劣等感を口にしたことで、初めて対等な関係のスタートラインに立てたのです。
恋愛における嫉妬、支配、依存は、すべて「自分の価値が脅かされることへの恐れ」から生まれます。そしてそれは、劣等感を“相手を通して克服しようとする”未熟な防衛反応にすぎません。
アドラー心理学が説く愛の本質は、「相手を信じるためには、まず自分を信じる勇気を持つこと」。
自分の弱さを見つめ、劣等感に振り回されず、共に並んで歩むこと。それが、成熟した愛のあり方です。
陽菜さん(仮名・33歳)は、彼氏との関係に悩んでいた。「身体の関係はあるけれど、心がつながっている気がしないんです……それでも“愛されてる”って言い聞かせてきたけど、どこか虚しい」
彼女の語る“空虚な親密さ”は、現代の恋愛にしばしば見られるテーマである。そしてアドラーは、このような性的なつながりを「人格同士の対話」という視点から捉え直そうとした数少ない心理学者の一人でした。
アルフレッド・アドラーは、性行為を単なる生理的行為ではなく、「人間関係の最も親密な表現の一つ」として扱いました。つまり、性とは“その人がどのように他者と関わろうとするか”の象徴的な表れであるということです。
この視点は、性を快楽や欲求の発散ではなく、「相手をどう見るか」「自分をどう見せたいか」という心理的メッセージの交換として捉えるものです(Watts, 2013)。
アドラーは、性における最も大切な要素は「相手をひとりの人間として尊重すること」だと述べました。そこに支配や強制、依存が入り込むと、性は単なる“利用”になってしまうのです。
健全な性的関係は、力関係や優劣の感覚を伴いません。むしろ、「私はあなたの人生に責任を取らないが、あなたが望むなら隣にいる」という“尊重と自立”の両立こそが、成熟した親密さの土台です。
性的な関係は、最も繊細な“自己開示”の瞬間です。体を預けることは、心を預けることでもあり、そこには“拒絶されるかもしれない”という恐れを超える勇気が必要なのです。
和也さん(仮名・35歳)は、かつての恋人から「あなたとセックスしても何も感じない」と言われた経験がトラウマになっていました。その後、彼は身体を寄せることに臆病になり、関係が深まるたびに逃げ出すようになっていたのです。
アドラー派のカウンセラーは、彼の行動を「劣等感による回避」と捉え、こう語りかけました。
「セックスは“評価される場”ではなく、“共に心を開く場”です。あなたの過去は、今のあなたを規定するものではありません」
その言葉に涙した彼は、数か月後、ゆっくりと新しい恋人との関係を築き始めました。初めて自分を“役割”ではなく“存在”として受け入れてもらったとき、彼の心は解放されたのです。
「断ったら嫌われるんじゃないかと思って、いつも応じてしまう。でも、本当はしたくないこともある」
これは、27歳の麻美さん(仮名)の告白です。彼女にとって性は「愛されるための交換条件」であり、そこには本当の対等性も尊敬もありませんでした。
アドラーは、こうした関係を“心理的な服従”と呼び、それが自尊心の崩壊を引き起こすと警告しました。性の場においても、「ノー」と言える関係でなければ、それは“親密さ”ではないのです。
アドラーが説いた「共同体感覚」は、恋愛や家族、そして性においても中心となる概念です。そこには、「私はこの人と共に生きたい」と思える“貢献”と“信頼”が必要です。
性的関係もまた、「お互いに安心できる場を築く」行為であり、孤立ではなく絆の表現であるべきだとアドラーは考えました。
肌が触れ合うとき、言葉以上のメッセージが交わされる。
「ここにいてもいい」
「あなたを傷つけない」
「わたしは逃げない」
そうした“非言語の誓い”が、性愛という名の人格的対話の中に込められています。
性は、ただの生理現象ではない。それは「この人と未来を築きたい」と願う勇気の表明であり、「あなたをひとりの人として大切に思う」という深い敬意のかたちなのです。
「結婚って、本当に“この人”でいいのかなって思ってしまうんです」
28歳の裕子さん(仮名)は、3年間交際してきた恋人からプロポーズを受けた後、喜びと同時に漠然とした不安に包まれた。「彼と一緒にいたい」と願いながらも、「“一生を共にする”という現実」に直面したとき、恋愛の甘やかさが“責任”という重みへと変わる瞬間を経験したのだ。
アドラー心理学は、こうした感情の変化を「愛の進化」として捉えます。恋愛から結婚へ──それは単なる関係の段階移行ではなく、人格的成熟の一つの“跳躍”なのです。
アルフレッド・アドラーは、結婚を「共同体感覚の完成形」と位置づけました。つまり、恋愛が“自己満足”や“感情の高揚”に重きを置くのに対して、結婚とは「自他の人生を支える対等なパートナーシップ」の表現です。
恋愛の初期段階では、互いに魅力を“演出”し、理想の自己像を提示し合う傾向があります。けれども、結婚とは、その仮面を脱いだあとに残る“本当の自分”を、相手と共有し続ける営みなのです。
恋愛は「好き」「ドキドキする」「一緒にいると楽しい」といった主観的な感情が先行します。一方、結婚は「この人と家庭を築けるか?」「困難を一緒に乗り越えられるか?」という現実的な協働の視点が問われます。
「恋人は“現在の幸福”をくれる人。
結婚相手は“未来の幸せ”を共に創る人。」
――あるアドラー派カウンセラーの言葉より
恋愛の中では、相手に「こうであってほしい」という願望を投影しやすい。だが結婚では、その願望が次第に剥がれ落ち、「この人のままを受け入れられるか?」という現実的な対話が始まるのです。
由香さん(仮名)と誠さん(仮名)は、結婚後すぐに家事を巡って衝突を繰り返すようになりました。恋人同士だったころは、何も言わなくてもお互いを気遣う“空気”があったのに、生活のリアリティがその幻想を壊してしまったのです。
カウンセラーは二人にこう語りました。
「“やってくれない”と感じるとき、自分が何を期待していたのかを明確にしましょう。
結婚は、“察する愛”ではなく、“伝える勇気”と“分かち合う力”が必要なんです」
その後、二人は「お願いする言葉」「ねぎらいの習慣」「やる気の出ない日を認め合う」など、具体的な生活習慣を再構築していきました。
アドラー心理学では、恋愛を結婚へと発展させる際、次のような問いが鍵となるとされます。
この人と困難な状況を共有できるか?
結婚生活において避けられない「試練」を共に乗り越える力があるか。
この人の“弱さ”を尊重できるか?
相手の完璧でない部分を批判せず、寄り添う勇気があるか。
この人に自分の“本音”を見せられるか?
恥や恐れを超えて、素の自分を表現できる関係かどうか。
40代後半で再婚した和也さんと真理さんは、それぞれの仕事や生活圏を保つため、あえて「週末だけ一緒に過ごす」というライフスタイルを選びました。
「物理的な同居」よりも、「心理的な絆」を重視した彼らの関係は、アドラーが説いた「共同体感覚=信頼と貢献の関係性」の新しいかたちとも言えるでしょう。
恋愛と結婚の境界線は、紙のように薄くも、鉄のように重くもあります。それは、“理想”から“現実”へ、“感情”から“責任”へ、“自己”から“共同”への移行です。
アドラーは言いました。
「結婚とは、二人の人格が手を取り合い、共に歩もうとする“勇気の選択”である」
恋愛を“続ける”のではなく、恋愛を“越えて”いく──そこに、アドラー心理学が示す愛の真価があるのです。
「彼と別れて、最初の1ヶ月は本当に辛かった。
寝ても覚めても彼のことを考えて、自分がどんどん価値のない人間になっていくような気がして……」
30歳の遥さん(仮名)は、3年続いた恋愛に終止符を打ったあと、自分を見失いかけていた。そんな彼女に、アドラー派のカウンセラーはこう語った。
「その苦しみは、あなたが“誰かのために生きていた時間”から、“自分のために生きる時間”へ戻るための揺れです。別れは、心の脱皮のようなものです」
失恋とは、“愛が失われる”体験ではない。アドラー心理学はそれを、「過去に依存していた自分」から「未来を選び直す自分」への心理的な再構成の契機と捉えます。
アドラーは、人生のあらゆる局面を「選択」として捉えました。恋愛の始まりも終わりも、いずれも“自分の目的”を見直す瞬間です。
失恋を「相手に振られた」「愛されなかった」という被害者的な捉え方ではなく、「自分がどんな愛を求めていたのか」「なぜその関係を続けようとしたのか」を見つめ直すことで、自律的な人間関係の再出発が可能になるのです。
亮介さん(仮名・33歳)は、同棲していた恋人に「あなたといると窒息しそう」と言われ、突然別れを告げられました。彼は「何がいけなかったのか?」と問い続けていました。
カウンセリングの中で、彼はこう振り返ります。
「僕は、彼女がいないと生きていけないと思ってた。けど本当は、“誰かに必要とされている”という感覚が欲しかっただけなのかもしれない」
そのとき、彼はようやく気づきました。
彼女を愛していたのではなく、“愛される自分”に依存していたのだということに。
失恋によって、自分の内面にある“愛され願望”や“価値証明の欲求”が浮き彫りになる。これは、痛みとともにやってくる自己理解のチャンスでもあるのです。
紗英さん(仮名・26歳)は、自ら別れを告げた元恋人の存在が忘れられず、「あのときもう少し我慢していればよかった」と自責の念に囚われていました。
カウンセラーは彼女に問います。
「“我慢してでも”関係を続けるべきだったという、その前提はどこから来ていますか?」
紗英さんはしばらく沈黙し、こう言いました。
「……私が人を幸せにできる人間でありたかったから。でも、本当は“自分が我慢しなければ愛されない”って、ずっと思い込んでいたのかも」
アドラーは、“過去の選択”を後悔するのではなく、その時の自分が“どんな目的”で選んだのかに気づくことで、自分を許し、次のステップへ進む勇気を育てると説きました。
アドラー心理学では、私たちが抱く不健全な思い込み(誤ったライフスタイル)を以下のように分類します:
「愛されないと生きていけない」
「誰かに必要とされなければ存在価値がない」
「恋愛がうまくいかないのは、自分が足りないからだ」
こうした信念は、失恋の痛みを過度に深刻にし、“生きる意味”そのものを恋愛に依存させてしまいます。アドラー的なアプローチでは、このような誤信念に気づき、「新しい意味づけ」を与える作業を通じて、自分自身を再構築していきます。
失恋を乗り越えるとは、ただ時間が癒してくれるのを待つことではありません。それは、「愛された記憶をどう再定義するか」という、主体的な営みです。
そして、別れのあとに初めて見えてくるものがあります。
「あの人と過ごした時間が、今の自分の一部になっている」
「あのとき抱えていた寂しさや焦りは、今の自分なら違う形で扱える」
「あの恋をしたからこそ、次の恋にはもっと誠実でいたいと思える」
このように、“終わった愛”は、静かに心の底で“次の愛を育てる土壌”へと変わっていきます。
アドラー心理学が教えてくれるのは、別れは“喪失”ではなく、“再選択”であるということ。
「過去の関係が壊れたのではない。
自分が成長し、そこに留まれなくなったのだ」
そのように意味づけを変えることができたとき、人は“失ったもの”ではなく、“これから得るもの”に目を向け始めます。
そして、それこそが「勇気づけ」によって生まれる未来への第一歩なのです。
ある雨の日、70代の夫婦がカウンセリングルームを訪れた。夫の定年後、互いの距離が縮まるどころか、会話が少なくなったことを妻が気にしていた。「若いころは、なんでも話せたのに……」
カウンセラーはふたりに尋ねた。
「あなたたちが“愛し合っていた”と思える瞬間は、どんな時でしたか?」
しばらくの沈黙の後、夫がぽつりと語った。
「苦しかった時に、彼女が“あなたのままでいい”と言ってくれたときかな……」
その言葉に、妻の目に静かな涙が滲んだ。
愛とは、「何をしてくれるか」ではなく、「どんなときも、あなたでいてくれていい」という承認の力。アドラー恋愛心理学の根底には、人を変えようとしないで“ともに在ること”に価値を見出す姿勢が流れています。
第2章で述べたように、恋愛は単なる感情の高まりではなく、「何を満たしたいか」「何に向かいたいか」という目的志向の行為です。
“寂しさ”を埋めるための恋は、一時的な満足をくれても、真の充足をもたらしません。
“誰かと成長したい”という恋は、時に衝突もあるけれど、互いを映す鏡として長く続きます。
アドラー心理学は、恋愛を「パーソナリティの開示と結びつきの実践」と捉え、自己理解と他者理解の道具とします。
第3章で深めたように、恋愛には多くの「劣等感」が投影されます。
「もっと愛されたい」「価値のある自分でいたい」という欲求は、相手に過剰な期待をぶつけ、失望を生むこともあります。
しかし、アドラーはこう説きました。
「すべての人間は、劣等感を抱えている。問題は、それをどのように扱うかだ」
成熟した愛とは、互いの弱さを“武器”にせず、“結びつき”に変える勇気を持つこと。それは、「優れている」者と「劣っている」者がいる関係ではなく、不完全なふたりが共に歩む関係なのです。
第4章で示したように、性はアドラーにとって「人格の対話」であり、「一時の興奮」ではなく「永続する信頼関係の証」でした。
肉体だけが触れ合うのではなく、心が触れ合う。
相手を“所有する”のではなく、共に“委ね合う”。
性愛を「誠実な関係の成熟した表現」と捉える視点こそが、現代の「軽さ」や「即物化された親密さ」に一石を投じます。
第5章では、恋愛と結婚の違いを、「感情中心」から「協働中心」へと変化する関係性の成熟として描きました。
アドラーの結婚観におけるキーワードは**「対等性」「協働」「共同体感覚」**です。
「察する愛」より、「伝える勇気」
「与える義務」より、「支え合う選択」
「ふたりの幸福」より、「ふたりを含めた社会への貢献」
これが、アドラーが語る「成熟したパートナーシップ」の姿です。
第6章で取り上げたように、失恋や別れは人生の“失敗”ではありません。それは、
「今の自分にはもう必要のない関係を、勇気をもって手放した証」
であり、“変化への準備”なのです。
アドラーは、“過去に囚われず、未来を選び直す力”を「勇気」と呼びました。愛が終わるときにこそ、その勇気が最も必要とされます。
「好き」は感情、「愛する」は意思。
対等性こそ、親密さの本質。
恋愛とは、二人の“未完成さ”が出会う場所。
身体も心も、“自由”の上に成り立つ。
別れは、次の愛のための勇気づけ。
“私は、あなたのままでいてほしい。
そして私も、私のままで、そばにいたい”
それが、アドラーが理想とした“成熟した愛”の言葉です。
愛とは、花火のように燃え上がって終わるものではなく、薪のように静かに燃え続ける選択。
互いの劣等感に優しく寄り添いながら、共に歩む未来を描いていく──そこに、「人が人を愛する」ことの尊さがあります。
恋愛は人生の一部であり、人生はいつだって、学びと再構築の場。
そしてアドラー心理学は、そのすべてを“勇気づけ”で包み込む、人間への希望の学問なのです。
ショパン・マリアージュは貴方が求める条件や相手に対する期待を明確化し、その基準に基づいたマッチングを行います。これにより、結婚生活の基盤となる相性の良い関係性を築くためのスタートを支援します。また、結婚に関するサポートや教育を通じて健全なパートナーシップを築くためのスキルや知識を提供します。
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