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愛と性について〜加藤諦三教授の視点から〜

2025.03.24

ショパン・マリアージュ

1. はじめに

加藤諦三教授は、日本を代表する心理学者・社会学者であり、長年にわたって人間の心の奥底にある「孤独」「不安」「愛」「依存」などのテーマを掘り下げてきた思想家である。特に「愛と性」の問題において、加藤教授は単なる恋愛論や性教育の範疇を超え、深層心理学的アプローチによって、現代人がなぜ真実の愛を見失い、性に振り回されるのかを問い続けてきた。

現代は、情報と選択肢があふれる時代でありながら、人々の心には深い孤独と不安が蔓延している。「愛されたい」「つながりたい」と切望する気持ちは強まる一方で、SNSやマッチングアプリなどによって容易に“つながる”ことができる反面、持続的で本質的な人間関係は築きづらくなっている。

本論では、加藤諦三教授の思想を中心に、「愛と性」の本質とは何か、なぜ多くの人がその区別を見失い、苦しみを抱えるのかを具体的事例やエピソードを交えながら詳細に論述していく。そして、真に人を愛するとはどういうことか、性が果たす役割とその危うさ、さらには自己肯定感との関係性に迫りながら、加藤教授の処方箋を読み解いていくことにする。

2. 愛とは何か

加藤諦三教授にとって「愛」とは、単なる感情的な高揚ではなく、相手の存在を深く受け入れ、尊重する成熟した心の状態を指す。そこには自己肯定感が不可欠であり、まず自分自身を受け入れ、肯定することができなければ、他者を真に愛することはできない。

加藤教授は、「愛とは、自分を必要としている相手を大切にすること」であると述べている。つまり、愛とは自分が欲するものを相手に求める行為ではなく、相手の幸せや安心を願う行動である。これは一見すると自己犠牲のように映るが、実際には自己肯定感があるからこそ可能な健全な愛のかたちである。

たとえば、ある男性が恋人を常に束縛し、行動を監視し、連絡を強要するといったケースがある。一見すると「好きだからこそ心配している」「愛しているから離れたくない」と語るが、これは愛ではなく不安と依存である。彼は自分に自信がなく、恋人が離れていってしまうことへの恐れから行動を制限しているのである。

反対に、ある女性は、恋人が夢のために遠方へ引っ越すことになった際、寂しさを抱えながらも応援し、自らも自分の人生を生きようと決意した。このような態度は、相手の幸福を尊重し、支える姿勢であり、加藤教授の言う「成熟した愛」に近い。

また、愛とは「感情の投資」でもあると加藤教授は指摘している。愛するとは、相手の存在に意味を見出し、その人が存在することで自分の世界が豊かになるという実感を伴う。これが単なる寂しさの埋め合わせや、社会的なステータスのための交際と決定的に異なる点である。

つまり、愛とは「誰かがいてくれるから安心する」のではなく、「自分の中に安心があるから誰かを支えられる」という、内的安定の上に築かれる関係性なのである。

3. 性とは何か

性とは単に生物学的な機能ではなく、人間の深層心理に直結した複雑な意味を持つ行為である。加藤諦三教授は、性を「自我の不安を癒すための手段」として扱うことの危険性を繰り返し警告している。性的な行為は愛の表現になり得るが、同時に愛の代替、つまり孤独や劣等感の逃避手段にもなり得る。

たとえば、ある若い男性は、幼少期に母親から十分な愛情を受けられなかった経験から、異性との関係において常に性的な接触を求めるようになった。彼は相手の内面を知ろうとはせず、身体的関係の中でしか自分の存在価値を確認できない。これはまさに、性を通じて自己の不安や欠如を埋めようとする典型的な例である。

また、性が社会的な評価や承認と結びついてしまうことも少なくない。特に現代においては、性的魅力が自己価値の証明とされる場面が増えている。SNS上での「いいね」やフォロワー数が、自分の魅力や性的価値を測る物差しとなり、それに依存する人々は本来の人間的価値を見失いがちである。

加藤教授は、性に健全に向き合うためには、「性を手段にしないこと」が必要であると説く。愛の中に性がある場合、それは自然で豊かな営みとして存在する。しかし、性そのものが目的となったとき、人は他者を“使う”存在へと変えてしまう。

たとえば、ある既婚女性が不倫を繰り返す背景には、夫からの愛情を感じられない孤独感があった。性的な関係を通じて一時的な慰めを得ようとするが、行為の後には必ず空虚さが残る。これは性が愛に支えられていないことを如実に示している。

性とは、人間のもっとも深い部分に触れる行為であり、その扱い方次第で人を幸せにも不幸にもするものである。加藤教授の思想は、性を消極的に忌避するのではなく、その背後にある心の在り方に目を向けることで、性を健全なものにしていこうとするものである。

4. 愛と性の接点

「愛」と「性」は本来別のものとして存在しているが、しばしば私たちはこの二つを混同する。愛があるから性が生まれる、あるいは性があるから愛されていると錯覚する——この錯覚こそが多くの関係性を破綻へと導いてきたと加藤諦三教授は述べている。

たとえば、ある大学生のカップルが、付き合い始めて間もなく肉体関係を持つことになった。女性はその行為によって「愛されている」と感じ、男性もまた彼女の満足した表情から「良好な関係だ」と信じた。しかし、次第に彼は連絡を減らし、最終的には別れを告げた。女性は「身体を許したのに、なぜ?」と傷ついた。ここにあるのは、「性=愛」という誤解に基づいた深い断絶である。

加藤教授は、このような混同の背景には、「愛されたい」という承認欲求の暴走と、「性によってつながりたい」という欲望の安直さがあると指摘している。人は寂しさを抱えると、その不安を性によって一時的に和らげようとする。しかしそれは、砂上の楼閣であり、真の関係性を築く基盤にはなり得ない。

また、性行為を通じて愛を得ようとする行動は、自己否定感や愛着不安の表れでもある。ある女性は、「自分には愛される価値がない」と信じており、その代替として肉体を差し出すことにしか他者とのつながりを見出せなかった。だが、彼女が求めていたのは性ではなく、無条件に受け入れてくれる存在だったのだ。

しかし、性が常に愛を妨げるわけではない。成熟した愛の関係においては、性は互いの信頼と親密さを深める行為になりうる。重要なのは、「愛が先にあること」である。性的接触が関係性の出発点ではなく、あくまで心の結びつきの延長として存在している場合、性は二人の絆をより豊かにし得る。

加藤教授は、性を「愛の表現」として扱うためには、まず相手を一個の人格として尊重し、自分自身の孤独や不安と向き合うことが必要だと説く。その上で、肉体的接触がもたらす親密さは、言葉では表現しきれないレベルのコミュニケーションとなる。

要するに、愛と性の健全な接点とは、「心のつながり」が先にあり、「身体のつながり」がそれを補完するという順序にある。この順序が逆転したとき、性は人を結びつける力ではなく、むしろ関係性を曇らせ、破壊するものとなるのである。

5. 愛と性の錯覚

愛と性がしばしば混同されることで、多くの人々が「愛されている」と錯覚し、自らの欲求や不安を無意識のうちに性に投影してしまう。この錯覚が生まれる背景には、「性を通じて愛を得たい」「性を与えれば愛される」といった誤解が根強く存在している。

たとえば、ある20代の女性は、交際相手とより深い関係を築くためには、早い段階で肉体関係を持たねばならないと信じていた。彼女は「愛されるには応えなければならない」という強迫観念に駆られ、相手に合わせてばかりいた。しかし、関係が終わったとき、彼女は自分の存在が「性行為の対象としての価値」に過ぎなかったのではないかという虚しさに襲われた。これは愛を得たのではなく、むしろ自尊心をすり減らす関係だった。

このような錯覚を生む根本には、自己肯定感の欠如がある。加藤諦三教授は、自己肯定感が低い人ほど「他者からの承認」に依存しやすく、そのために性を提供することで自分の価値を測ろうとする傾向が強いと指摘する。性が自己証明の手段として機能してしまうと、それは愛とはまったく異なる方向へと進んでしまう。

さらに、幼少期の愛情体験の欠如もこの錯覚に深く関与している。ある男性は、母親から十分なスキンシップや言葉による愛情を受けなかったため、大人になってから過度に性的な関係を求めるようになった。彼は性行為を通じて「自分は受け入れられている」と感じようとするが、それは一時的な安心にすぎず、関係が終わるたびに深い喪失感に襲われる。

また、もう一つの錯覚は「恋愛=苦しみ」という信念である。ドラマや映画などのメディアが描く激しい恋愛模様を「真実の愛」と錯覚し、嫉妬や執着、裏切りといった感情が愛の証明であると考えてしまう人も少なくない。しかし、加藤教授は、愛とは安定した関係性の中にこそ育まれるものであり、常に不安や不信を伴う関係は、それ自体がすでに破綻の予兆であると警告する。

性を愛の証明と考えることで、自らを傷つけてしまう人たち。その根底には、「愛されるには何かを差し出さなければならない」という誤った自己認識がある。だが、真の愛とは、何かを与えることによって得られるものではなく、「そのままの自分で存在していい」という感覚の中に芽生えるものなのである。

6. 事例とエピソード

ここでは、「愛と性」の錯覚が実際の人間関係にどのように現れるのかを、いくつかの具体的なケースを通じて見ていく。

ケース1:SNS時代の恋愛と性

29歳の男性Aさんは、恋愛に臆病であったが、SNSを通じて女性と出会い、肉体関係を重ねることで「関係性」を築いてきた。彼にとって「つながっている」という感覚は、メッセージやスキンシップの頻度に依存していた。ある日、ある女性との関係が深まり、恋愛感情のようなものを抱いたが、相手から「私たちの関係はそういうものじゃない」と言われた瞬間、激しい虚無感に襲われた。彼は、性を通して得ていたつながりに“愛”の錯覚を見ていただけだったのである。

ケース2:母子関係が性に影響する例

大学生の女性Bさんは、幼少期に母親から「女は男に尽くしてこそ価値がある」と教え込まれて育った。その影響で、彼女は自分の意思よりも相手の要求に応えることを優先するようになった。恋人が求めるままに性行為を繰り返し、「愛されている」と思い込んでいたが、相手は彼女を“都合のいい存在”としてしか見ていなかった。関係が終わったとき、Bさんは「私は何も得ていなかった」と涙ながらに語った。

ケース3:性的優位性で自己価値を保とうとする男性

40代の会社員Cさんは、結婚生活に満たされなさを感じ、出張先で複数の女性と関係を持つようになった。彼は「モテる自分」「女性に求められる自分」を保つことで、自尊心を維持していた。しかし、ある女性に「あなたは誰の心も見ていない」と言われたとき、自分が誰とも真の意味で関係を築けていないことに気づいた。性的征服が自己肯定の代替になっていた彼の人生は、空虚さの上に成り立っていた。

ケース4:家庭内での愛情不足と性の早熟化

高校生のDさんは、家庭内に会話がなく、両親は常に仕事で忙しかった。寂しさを感じていたDさんは、同級生との性行為を通して「必要とされている」感覚を得ていた。しかし、関係が終わるたびに強烈な孤独感に襲われ、徐々に自己嫌悪に陥っていった。誰かに「大切にされたい」気持ちが、無自覚のうちに“体を差し出す”行為につながっていたのである。

これらの事例に共通するのは、「性」を通じて愛や承認を得ようとする無意識の心理である。性が愛の代用品となったとき、人は相手との真の信頼や安らぎを得ることができないばかりか、自身の存在意義をも危うくする。加藤諦三教授は、「性にのめりこむ人ほど、本当は愛に飢えている」と語っている。

7. 「愛せない人たち」の心理

人を「愛したいのに愛せない」「信じたいのに信じられない」という葛藤に悩む人々は、現代において珍しくない。加藤諦三教授は、こうした人々を「愛せない人たち」と呼び、その背景には深層心理に潜む不安や恐れ、そして過去の傷つきが存在していると指摘している。

たとえば、幼少期に親から無条件の愛情を受け取れなかった人は、他者を信頼することが困難になる。ある30代女性Eさんは、両親から常に「もっとこうすべき」「完璧でいなさい」と言われて育った。そのため、自分が愛されるには“条件”を満たさなければならないと刷り込まれていた。結果として、恋愛関係においても常に「相手の期待に応えなければ見捨てられる」という恐怖心に支配され、心から相手を愛する余裕が持てなかった。

また、「いい人」であろうとしすぎる人も、しばしば真の意味で他者を愛することができない。これは自己犠牲を伴う関係を繰り返すことで、実は自分自身を守っているケースが多い。相手の顔色をうかがい、自分の欲求や本音を抑え込むことで、傷つかないようにしているのである。加藤教授は、「人は自己否定を抱えたままでは、健全な愛を育むことはできない」と強調する。

ある男性Fさんは、常に「誰かの役に立たなければ価値がない」と感じていた。そのため、恋人や友人に対しても過度に尽くし、相手の問題を背負い込もうとする。しかし、その一方で自分の弱さや寂しさは誰にも見せられず、心は常に空虚だった。彼の行動は愛のように見えるが、実際は「自分が受け入れられない」ことへの恐れの裏返しであった。

「愛せない人たち」は、決して冷酷でも無関心でもない。むしろ、人一倍愛を求め、誰よりも繊細で傷つきやすい心を抱えている。その繊細さゆえに、自ら壁を作り、愛に心を開けなくなっているのである。

加藤教授は、こうした人々に対して「まずは自分自身を許し、認めること」こそが、愛を受け入れる第一歩だと述べている。愛は他者との関係性の中で生まれるが、その根源は「自分自身をどう扱うか」にかかっている。自己受容がなければ、他者への信頼もまた築くことができない。

8. 加藤諦三の処方箋

加藤諦三教授は、愛と性の問題に直面する人々に対して、心理学的視点から数多くの具体的な「処方箋」を提示している。その根底には「自己理解」と「自己肯定感」の回復がある。

まず第一に、加藤教授が一貫して強調するのは、「感情に気づくことの重要性」である。私たちは往々にして、自らの寂しさや怒り、恐れといった感情を無視したり抑圧したりしてしまう。それが結果として、性行動や過剰な献身といった形で表出する。愛と性に振り回される人々は、まず自らの心の声に耳を傾ける必要がある。

たとえば、「どうしても相手に愛されたい」と強く思うとき、その裏には「自分を愛せていない」「自分を信じていない」気持ちが潜んでいることが多い。加藤教授は、「相手がどう思うか」ではなく、「自分がどう在りたいか」に意識を向けることが、自立した愛の始まりであると述べている。

第二に、加藤教授は「愛とは与えるもの」だと繰り返す。これは一見すると自己犠牲を意味するようだが、実際には「満たされた自己」が自然に他者に与えることのできる愛を指している。逆に言えば、満たされていない自己は、他者から奪おうとする愛しか知らない。したがって、愛を与えるためにはまず「自分を満たすこと」、つまり自己肯定感の回復が不可欠なのだ。

そのための実践として、加藤教授は「独りでいる時間を充実させること」「自分の好きなことを知ること」「安心できる居場所を持つこと」などを勧めている。これらはすべて、「性によるつながり」ではなく「自己とのつながり」を築くための手段である。

さらに、対人関係においては「境界線を引くこと」が大切だと説く。他者に依存しすぎず、かといって無関心にもならず、自他の違いを認めながら適切な距離を保つことが、健全な関係の土台になる。これは、愛と性を混同しないための最も基本的な技術でもある。

加藤教授の処方箋は、決して即効性のある“治療”ではない。しかし、それはゆっくりと、確実に人の内面に働きかける「自己回復の道筋」である。そしてこの道筋こそが、混乱する愛と性の狭間で苦しむ現代人にとって、もっとも誠実な道しるべとなるのである。

 

9. 終わりに

本稿を通して見てきたように、「愛」と「性」は決して同一のものではない。むしろ、両者の違いを正確に理解し、それぞれの意味と重さを受け止めることが、現代人の人間関係において最も重要な課題の一つである。加藤諦三教授は、愛とは自己肯定感に根ざした相互的な関係であり、性はその表現の一つであるに過ぎないと一貫して説いてきた。

現代社会では、個人の孤立感や不安感が深まり、それに比例して性や恋愛への過剰な依存が顕著になっている。しかし、そのような依存の多くは、一時的なつながりや刺激にすぎず、真の安心や幸福をもたらすものではない。人は誰しも、愛されたい、理解されたいという根源的な欲求を抱えているが、それはまず「自分自身との和解」から始まらなければならない。

加藤教授の教えは、ただ恋愛や性のテクニックを学ぶのではなく、むしろ自分の内面に丁寧に向き合い、過去の傷や恐れを癒すことの重要性を訴えている。真に他者を愛することができる人間は、自分自身の弱さや欠点を受け入れ、孤独を恐れず、自立した心で相手と向き合うことができる人である。

本稿で取り上げた多くの事例や心理的背景は、私たちが日々直面している問題と地続きである。誰かを深く愛すること、誰かに愛されることの困難さに向き合いながらも、私たちはより誠実で成熟した関係性を目指すべきである。そのためには、まず「知ること」から始まる。自分自身を知り、他者の痛みを知り、愛と性の本質を知ること。その知識と理解が、混乱から抜け出すための羅針盤となるのである。

最後に、加藤諦三教授の言葉を借りれば、「人は他人を変えることはできない。変えることができるのは、ただ一人、自分だけである」。だからこそ、自分の内面を見つめること、自己の成長に向き合うことこそが、すべての出発点であるといえる。

これからの時代、ますます人間関係が流動的になり、愛と性が曖昧になっていくかもしれない。だが、どれだけ時代が変わっても、「人が人を愛するとはどういうことか」という問いは、私たちの人生において永遠のテーマであり続けるのである

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