50年代以降、右肩上がりで伸びていった、恋愛結婚。実は59年には、当時の若者の恋愛観を大きく変える出来事も起こった。皇太子明仁親王(今上天皇)と、正田美智子さま(皇后)とのご成婚。いわゆる「テニスコートの自由恋愛」のブームだ。
また60年代以降は、好景気も手伝って、結婚前の女性がエレベーターガールや役員秘書、キーパンチャーなどで少しずつ職場にも進出する。これにより、とくに「職場」での出会いが急上昇した。旧厚生省による調査報告でも、65〜75年までの10年間、恋愛結婚したカップルのうち「出会いの場は職場」と答えた男女が、5割を超えていたほどだ(87年/「第9次出産力調査」)。
では当時、社内で出会った男女は皆、熱烈な恋に落ちて「結婚しよう」となったのか。
いや、そうとは限らないことは、60年前後に公開された、小津安二郎監督の映画「彼岸花」や「秋日和」をご覧いただければ分かる。当時多かったのは、同じ会社に勤める親族や職場の上司らが、「あの子にいいお相手はいないか」と画策し、「今度、二人でデートしたら?」などと間接的に後押しして、縁結び役を果たすケースだ。中大教授・山田氏も「婚活時代」で言及したとおりである。
背後には、少なからず「社内派閥」の存在もあった。
縁結び役の親族や上司からすれば、自分の部下や子どもが、出世頭や役員の親族と結婚してくれれば、自分もその派閥の一員になれたり出世コースに乗れたりする。紹介された男性側も、本音では「もう少し待てば、ステキな女性と出会えるかも」と思っても、社内の「世話焼きオジサン」に紹介された女性と結婚すれば、その後の出世の「約束手形」をもらえる。互いに「WinWin]の関係だったわけだ。
うがった見方をすれば、これは鎌倉時代や江戸時代の政略結婚と、なんら変わりない。恋愛結婚の名を借りながら、実際には「半お見合い結婚」のようなもの。
また当時、職場で働く女性の側も、失礼ながら「腰掛け」が圧倒的。女性が一生働ける職場はほとんどなく、結婚まで2,3年勤めて寿退社するケースが大半だった。入社段階から、職場は女性の婿探し、いや永久就職を懸けた戦いの場でもあったわけだ。
語弊はあろうが、60、70年代の会社は、毎日が「大婚活パーティ」の舞台。自発的に縁結び役を買って出る、職場のお節介オジサンまでいた。だからこそ、多くの男女が職場で出会い、結婚へと向かうことができたのだろう。
70年代、30〜34歳女性の未婚率は、わずか1割未満。同男性も2割に達していなかった。生涯未婚率も、男女とも2〜4%と超低水準(総務省)。この頃までは、誰もが結婚するのが当たり前、「結婚は必需品」だったわけだ。
明治〜戦時由来の「処女伝説」、すなわち「女性は結婚するまで、貞操を守るべき」といった概念も、当時までは根強く残っていた。
「性交渉したければ、結婚を意識せざるを得ない。だからこそ、当時は性や恋愛の延長線上に結婚があり、三位一体化されていた」と山田氏。
だがその構図も、80年代に始まるバブル由来の恋愛至上主義と、「結婚はしてもしなくてもいいもの」、すなわち「結婚の嗜好品化」により、徐々に崩壊へと向かうことになる
ショパン・マリアージュ(釧路市の結婚相談所)
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