まず、「ドン・ジョヴァンニ」における恋愛の特徴は、主人公がもつ愛に対する飽くなき探求心と、彼の無節操な行動にあります。彼は恋愛を征服や支配の手段として扱い、純粋な愛情や相互理解とは程遠い関係を追い求めます。このようなドン・ジョヴァンニの恋愛観は、彼のアリア「手を取って、さあ一緒に(Là ci darem la mano)」で明確に表現されています。このアリアでは、彼がツェルリーナを誘惑する様子が、甘美でロマンチックなメロディに乗せられていますが、背後には彼の自己中心的な欲望が見え隠れします。
このアリアにおける旋律の流麗さと調性の変化は、ツェルリーナを恋愛の幻想に引き込むドン・ジョヴァンニの技術の一端を示し、恋愛の一側面である「誘惑」の要素が浮き彫りにされています。また、ツェルリーナも一瞬、この甘い誘惑に心を奪われますが、最終的にはドン・ジョヴァンニの欺瞞を認識し、恋愛の幻想から目覚めることになります。この場面は、愛の力とその裏に潜む危険性を描き、モーツァルトが音楽的に恋愛の「光と影」を巧みに表現していることを示しています。
さらに、ドンナ・エルヴィラとの関係においても、恋愛がいかに痛みと執着を伴うものかが描かれます。エルヴィラはかつてドン・ジョヴァンニに深く愛されたと信じ、彼に捨てられた後も未練と怒りを抱き続けています。彼女のアリア「狂おしい愛(Ah, chi mi dice mai)」では、その感情の激しさと痛みが、激しい音楽表現で描かれています。エルヴィラは復讐心に駆られるものの、同時にドン・ジョヴァンニをまだ愛しているため、彼女の行動や感情は複雑で矛盾したものとなっています。モーツァルトは、恋愛が持つこの「執着」と「矛盾」の側面を、エルヴィラの音楽表現を通して巧みに浮き彫りにしています。
また、恋愛に対する異なる視点として、ドンナ・アンナのキャラクターが挙げられます。アンナは、父を殺された悲劇とともに、婚約者であるオッターヴィオへの愛と忠誠を抱えています。彼女のアリア「私を慰めて(Non mi dir)」では、ドン・ジョヴァンニに対する復讐心と、オッターヴィオに対する揺るぎない愛情が交錯する中、愛が道徳的な枠組みの中で尊重されるべきものであることを示唆しています。モーツァルトはアンナの歌唱において、純粋で崇高な愛情の象徴としての音楽的表現を与え、愛に伴う倫理的な重みを強調しています。
最後に、作品全体を通して描かれるドン・ジョヴァンニの恋愛遍歴は、モーツァルトの社会批評としての役割も担っています。ドン・ジョヴァンニが追い求める恋愛の軽薄さと無節操さは、18世紀の貴族社会における道徳的な頽廃を風刺しており、その虚しさが騎士長の登場とともに最高潮に達します。この最終的な制裁によって、モーツァルトは「恋愛」と「道徳」がいかに密接に関わっているかを描き、愛のあるべき姿に対する疑問を投げかけます。
このように、「ドン・ジョヴァンニ」における恋愛のテーマは、単なる感情の描写にとどまらず、モーツァルトが音楽と物語を通じて示した人間の本質的な葛藤や社会批判が込められています。